「ないものはない。あるものでなんとかする」
以前、精神分析家のハインツ・コフートの言葉として、このような話を聞いたことがあります。実際にコフートがこの通りの言葉を述べたのかは確認できていませんが、彼の論文には、これに通じる考え方が示されています。
私には、この言葉が、人間が現実のなかで生きることの本質を、よく表しているように思えます。
ただし、ここでいう「あるもの」は、能力や資源だけを指すのではありません。自分のなかにすでにある感情や願い、これまで身につけてきた対処の仕方、周囲との関係、そして今この瞬間に残されている選択肢も含まれます。
カウンセリングでは、ないものを無理に埋めようとするのではなく、その人のなかや周囲にすでにあるものを一緒に見つけ、それをどう活かせるかを考えます。これは、何でも前向きに捉え直すということでも、現実の不足を見ないことでもありません。ないものをないままに認めながら、あるものとの関わり方を探すということです。
ないものを求めても、得られないものは得られない
私たちは、自分にないものを求めて生きています。
もっと能力があれば、もっと健康であれば、もっと恵まれた環境に生まれていれば。あのとき違う選択をしていれば、もっとよい人生があったのではないか。
こうした思いは、誰にでもあるのではないでしょうか。
しかし、現実には、どれほど求めても得られないものがあります。
生まれ持った能力や気質には個人差があります。育ってきた環境を選び直すことはできません。過ぎ去った時間は戻ってきませんし、失われた人間関係を取り戻せるとも限りません。
努力によって変えられることもあります。しかし、努力すれば何でも実現できるわけではありません。いくら欲しがっても、ないものはないのです。
私たちは結局、自分にあるもので、なんとかやりくりして生きるしかありません。現実とは、そもそもそういうものではないでしょうか。
コフートが述べた「知恵」
精神分析家ハインツ・コフートは、1966年の論文「自己愛の形態と変容(Forms and Transformations of Narcissism)」で、人間の成熟したあり方として「知恵(wisdom)」について論じています。
コフートによれば、知恵とは、単に多くの情報を持っていることでも、物事をよく理解していることでもありません。
彼は、知恵について次のように述べています。
「知恵は、自分の身体的、知的、情緒的な能力の限界を受け入れることに基づいている」(Kohut, 1966, p.268、筆者訳)
そして、知恵とは、理想や価値観、ユーモア、物事の無常を受け入れる態度などが統合されて成立するものだと考えました。
さらにコフートは、自分の限界や有限性を認めることは、人生に対する知的・情緒的な関わりを放棄することではない、と述べています。
自分にはできないことがある。手に入れられないものがある。そして、自分の人生にも限りがある。
そうした現実を受け入れながら、それでも世界との関わりを持ち続けること。そこに人間の成熟した知恵があるというのです。
この考え方は、自己心理学の観点からも理解できます。自己心理学では、人が安定した自己感覚を保ち、成長するために、他者とのあいだで理解され、支えられ、価値を認められる経験が重要だと考えます。人は、最初からすべてを自分の内側だけでまかなえる存在ではありません。
だからこそ、限界を受け入れることは、単に「自分には何もできない」と認めることではありません。自分だけでは足りない部分があることを認めながら、他者との関係や、これまでの経験、自分のなかに残っている力を含めて、自己を支えるものに目を向けることでもあります。
わかっていても、諦められない
もっとも、自分の限界を受け入れることは、簡単ではありません。
頭では、どうにもならないとわかっている。それでも、諦めきれないことがあります。本当は、もっと大切にしてほしかった。もっと認めてほしかった。あのとき、ああしてほしかった。自分も、あの人のようになりたかった。
そうした願いは、現実には叶わないとわかったからといって、簡単に消えてなくなるものではありません。むしろ、叶わなかったことが悔しく、悲しく、いつまでも心に残ることがあります。
そこで「いつまでも過去にこだわっていても仕方がない」「前向きに考えた方がいい」と言われても、気持ちはそう簡単には変わりません。そもそも、失われたものには、その人にとって失いたくなかった理由があるのです。欲しかったものには、それだけの意味があったのでしょう。ですから、限界を受け入れるということは、そうした思いを切り捨てることではないと思います。
コフートは、成熟したユーモアや自己愛のあり方について、悲しみを否認しない、静かな内面的達成という趣旨のことを述べています。現実を受け入れたからといって、悲しみがなくなるわけではありません。叶わなかったことを残念に思い、得られなかったものを惜しみながら、それでも今の自分として生きる。
私は、そのようなことではないかと思います。
あるもので、なんとかやりくりする
私たちは、ともすると、足りないものを補うことばかり考えてしまいます。 もっと能力を高めなければならない。もっと自信を持たなければならない。もっと積極的にならなければならない。もちろん、そうした努力が役に立つこともあります。
しかし、人間にはそれぞれ限界があります。
苦手なことを克服しようと努力しても、得意になるとは限りません。自分の性格や感じ方を変えようとしても、思うように変えられないことがあります。そうであれば、苦手なことは苦手なままで、どう暮らすかを考えてもよいのではないでしょうか。
自分にできないことがあれば、誰かに頼んでもよいでしょう。人より時間がかかるのであれば、時間をかければよいのかもしれません。できないことを無理に続けるよりも、別のやり方を探した方がよい場合もあります。
それは、自分の可能性を諦めるというより、今の自分に合わせた生活を考えるということなのでしょう。
自己心理学の観点から見ると、ここで大切なのは、本人のなかにすでにある自己調整の力や、これまで生き延びるために身につけてきた工夫を見つけることです。たとえば、誰かに助けを求められた経験、苦しい時期をなんとか乗り越えてきた経験、安心できる人や場所を見つける力、物事を少し距離を置いて眺める力などです。
それらは、本人にとっては当たり前すぎて、資源として意識されていないこともあります。カウンセリングでは、問題や不足だけに注目するのではなく、その人がすでに持っているものを一緒に見つけ、それがどのように役立ってきたのかを確かめます。 もちろん、現実はそれほど都合よくいかないこともあります。助けてくれる人がいなかったり、必要なものが足りなかったりすることもあるでしょう。それでも、私たちは、そのとき自分の手元にあるものを使って、なんとかやりくりするほかありません。それは立派な生き方でも、特別に前向きな生き方でもないかもしれません。ただ、現実のなかで生きるというのは、そういうことなのだと思います。
カウンセリングでできること
カウンセリングでは、自分を変えたい、今の苦しみをなくしたいという相談を受けることがあります。もちろん、変えられることは変えればよいと思います。実際に、考え方や行動を変えることで、問題が解決することもあります。
しかし、カウンセリングを受けたからといって、すべての問題が解決するわけではありません。失ったものが戻ってくるわけでも、過去が変わるわけでもありません。自分にない能力が突然備わるわけでもありません。そして、そうした現実を受け入れること自体が、難しい場合もあります。
私は、カウンセリングで大切なのは、必ずしもそうした現実を受け入れさせることではないと思っています。なぜ、そのことがそれほどつらいのか。何を望んでいたのか。何が得られず、何を失ったと感じているのか。そうしたことを、時間をかけて語る。その人がこれまで経験してきたことを、悲しみや悔しさも含めて、自分自身の人生の出来事として語れるようになる。
その過程では、相談者の語りを急いで前向きな結論に導くのではなく、その人にとっての体験の意味を理解しようとします。自己心理学でいう共感とは、単に相手に同意することではなく、その人の内側から世界がどのように見えているのかを理解しようとすることです。
そのように理解される経験を重ねるなかで、相談者は、自分の感情や願いを少しずつ整理し、自分のなかにある力や支えにも目を向けられるようになることがあります。カウンセラーが何かを一方的に与えるというより、相談者との関係のなかで、これまで十分に活かされてこなかった自己の側面が見つかることもあるのです。
それによって現実が変わるとは限りません。しかし、自分に起こったことや、自分の抱えている苦しみとの関わり方が、少しずつ変わることはあります。
そうした過程を通して、今の自分と付き合いながら暮らすことが、少し楽になる場合もあるのでしょう。
今の自分で生きるしかない
「ないものはない。あるものでなんとかする」
この言葉には、どこか身も蓋もない響きがあります。
もっとよい自分になれるとか、努力すれば必ず報われるとか、そうした希望を語る言葉ではありません。
しかし、私はそこに、人間が生きるうえでの知恵があるように思います。
私たちは、自分の望んだような人間になれるとは限りません。思い描いたような人生を送れるとも限りません。 ないものを求めて嘆くこともあるでしょう。手に入らなかったことを、いつまでも残念に思うかもしれません。
それでも、生きるためには、今の自分と、今あるものを使って、なんとかやりくりするほかありません。そのことを受け入れるのは、決して容易ではないでしょう。それでも、できないことはできない、ないものはないと認められるようになることは、自分を責めたり、叶わない願いに苦しみ続けたりすることから、少し距離を置くことにもつながるのかもしれません。
そして、あるものを探すということは、ないものをなかったことにすることではありません。悲しみや悔しさを抱えたままでも、自分のなかに残っている感情や願い、これまで培ってきた力、他者とのつながり、これから選べる小さな行動に目を向けることです。
自分にないものを嘆きながらも、今あるものでなんとか生きる。
コフートのいう「知恵」とは、そんな人間のあり方にも通じているのではないかと思うのです。
参考文献 Kohut, H. (1966). Forms and transformations of narcissism. Journal of the American Psychoanalytic Association, 14(2), 243–272. pp.268–269.
https://doi.org/10.1177/000306516601400201
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